ピエール・ボナールが好きな訳が
「フランス絵画史」を読んで浮き彫りになった。
先日の日曜美術館「松方コレクション」の解説は、
その「フランス絵画史」の著者 高階秀爾氏だった。
本の中ではとても博学で饒舌だけど解説者としては静かな方だった。
でも、本の中の高階さんのナビ派、特にボナールやヴュイヤールの饒舌な解説のお陰で
何故ナビ派に心惹かれるのかわかったのだ。
ボナールもヴュイヤールもフランス中流階級の平凡な市民。
主題もアンティミスト(親密派)と言われるだけあって
生活範囲の中…ランプの下の家族だったり、食卓だったり、近くの公園…などだ。
裸婦にしても、神話の裸婦でもなければ、
構成を考えて描かれた裸婦ではなく、
日常の妻の生活の一コマである裸婦。
この人はどうしてこうも妻の入浴シーンを描くのか?と言うくらい。
(実際、妻マルトは精神的に病むところがあり、しょっちゅう入浴をしていた)
また、ボナールの表現は、「時に写実性から遠ざかるのも恐れないほど、画面の自律性と装飾性を強調し外界とは別のある一定の秩序を保った世界を創り出した」のだ。
「……主題はありふれたものばかりではあるが、……作品においてはけっしてただそれらを再現することが目的ではなく、むしろ逆に、彼は極力対象から離れようと努めていた」。
ボナールのこの言葉がよく表している。
「対象、つまりモティーフの存在は、制作している時には画家にとってきわめて邪魔になるものである。絵画の出発点となるものは一つの理念であるから、実際に仕事をしているときに対象がそこにあると、芸術家は、常に目の前の直接の映像の効果に心を奪われて当初の理念を忘れてしまう危険があるのだ…」。
ボナールが視覚の世界以上に自分の内面を重んじている画家であったことに心惹かれる。
見たものを古典的な形式にとらわれず、
見た瞬間のままに光と色で描く印象派より更に進んで
見たものに生じた自分の内面を描くナビ派。
ナビ派は、建築装飾や舞台装置などもでも活躍し、
ボナールの絵にたびたび出てくる装飾はとっても可愛い!と感じたものだ。
写実性から遠のくことを恐れず描くボナールが好きだ。
「庭に面した食卓」ピエール・ボナール
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