昨日は『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』新国立美術館 に行ってきました。
今までは西洋美術史にあまり関心を持っていなかったので
美術館で得る情報も上っ面のその場限りでした。
その時に得た点の情報は点のままで風化してしまうのです。
一昨年から昨年にかけて、原田マハさんのアート小説
…1番初めは『ジヴェルニーの食卓』でした…を片端から読んで、
点だった情報が繋がり始め、面白い、もっと知りたいと思うようなりました。
興味関心という内発的な動機づけが起こると
人は学習するようになるものですね 😆
先日の『プーシキン美術展』にリンクする今回の展示、
タイミングもよくとても楽しめました。
古典的な作品より、この印象派以降の作品に惹かれる理由もわかるようになりました。
「職人」技的な技術より、人間の感性そのままの「表現」に
心が惹かれるのだと。
美術史をご存知の方なら当たり前の知識をようやく得て、
画家の生きた時代の経済、地理、文化も理解した上で
作品を観る面白さを味わい始めています。
最後のモネの睡蓮は写真撮影が可能でした。
睡蓮と水面に映る柳の葉の間に映る空の透明感。
モネは移ろいゆく時間の様々な睡蓮の池を
朝には朝の睡蓮の池、昼には昼の睡蓮の池、
というように同時に何枚も描いたといいます。
印象派の絵は、見ているもの、感じ取ったものの、
その瞬間を表現しようと、素早く生き生きと動く筆による描写が
絵の魅力を際立たせて私たちをなんとも魅了します。
よくぞアカデミーに反旗を翻し、自分たちの表現を貫いてくれた!と感謝です。
そしてその画家たちの絵を、私たちが今日こうして鑑賞できるのも
コレクター、ビュールレの審美眼、先見の明のおかげだと、またまた感謝の念が湧いてくるのでした 🙏
クリックしてもらえると励みになります!ヨロシクネ!