11年間指導して下さった監督の転任にあたっての感謝の会のパーティーでした。
気さくで、子どもや保護者と友人のように付き合う監督でした。
大学時代には名前を鳴らした選手。教師は保険、アメフト監督が本業というくらい、熱い監督。
試合の後は、保護者の父親たちと飲みに行ってチーム、戦略について熱く語り合う監督です。
アメフト部以外の生徒には、しょうもないおっさんと思われている、とアメフト部の子どもたちは笑います。
けれど彼らは、こうも言います。
みんなの知らない素晴らしい教師・監督の姿・心を俺たちは知っている!と。
現役女子マネージャーが、先生大好きです!と言い、別れを惜しんで泣いてしまう。そんな監督。
選手と一緒にふざけたり、悔しがったりしているけれど、びっくりするほどいつの間に見ていたの?というくらい一人一人をよく見ていて、
選手にはもちろん、どの親にも◯◯はこんなことやって頑張ってますよ!とか、彼は繊細な男ですよ、お母さん!などと言える監督でした。
今日も監督は年代ごとに歴代選手を舞台に上げて、それぞれの年の試合をいくつも振り返ったのですが、
試合の流れ、選手のやったプレーを克明に語れるのです。
面白おかしく、でも正確に!
タクロウたちの代の話になると、どの試合も鮮やかに蘇り胸がいっぱいになったり、大笑いしたり…。
そうそう!あそこで、優勝候補のW高等学院を潰そうと、うちのラインが張り切って潰しすぎて、3人を潰して(2人は骨折)しまったんだっけ。
足の速い超高校生級のエースSを、こちらも足の速い選手を置いてよく抑えていたのに、
3人の怪我人が出たことで、そのSがまさかのポジション変更。
あともう少しというところだったのに、ポジション変更に対応しきれなくて惜敗したこと。
あの時は、悔し泣きにくれた試合でしたが、今は3人も潰したからだよ!と笑い話になりました。
監督の口からは、背番号何番の◯◯がインターセプトしてとか、雨が降ってきて流れがきたんだとか、どの代の選手の背番号も名前も試合の流れもスラスラ出てくるのです。
◯◯、こいつはガラスの少年です。←怪我が多かった選手 とかも 笑
スクリーンにはずっと一番最近の試合映像が流されていて、OBも保護者も一つになって楽しみ、感謝を伝えたパーティーでした。
タクロウの高校時代、親も子もアメフト中心の毎日だったなぁ。
強くなるのはもちろん、怪我をしないためにも、ご飯を死ぬほど食べて筋トレするので、毎日何を食べさせようか考えるのが大変だったなぁ。
選手だった時は、試合の応援やコーチに来てくれる社会人のOBが立派でかっこよく見えたものです。
今はタクロウたちがその立場になりました。
タクロウの代からコーチが出て、タクロウも時々顔を出しています。
タクロウは後援会の役員もやることになり、アメフト部の繋がりが一生の宝になるんだなぁと感慨深いものがありました。
それも、この監督の人柄と情熱が生み出したもの。
本当に素晴らしいご縁をありがとうございました。
忘れていた、スポーツマンの世界、彼らの青春が蘇った日でした。