「更科日記」推し!!
今日はヨルダン戦だからな (~o~)
キックオフには、テレビの前に正座っ!
ところで、昨日の続きがまだ書きた~い!←しつこい
「更級日記」読み終わりました。←最後まで読んだら感動 (T_T)
作者、孝標の娘は、38歳で結婚して50歳で夫を亡くしました。
それまで、そんなに多く語られていなかった夫ですが、この段では深い愛情の存在に気づかされます。
感動したのは、生きていけないのではないかと思われるほどの悲嘆に暮れながら、やがて彼女は立ち上がり、53歳にしてこの本を書き上げたことです。
日記は父親の赴任先であった常陸の国から京へ戻る、10代の旅の生き生きとした描写に始まります。
その後、信心はそっちのけで源氏物語にはまる可愛いらしい姿。その間、大切な人々との永久の別れにうちひしがれることがありながらも、反省はその時だけで惰性で生きている私。
中途半端な宮仕えと親に押し付けられた結婚。
ところが、子どもが立派に育つことと、夫の出世を願って突然、信心に目覚める私。でも旅の景色から、源氏物語に思いを馳せてしまう私もいる。
そんなある時期まで、普通のちょっとだめだめちゃんな、親しみを感じさせる孝標の娘だからこそ、夫の死を乗り越えてポジティブに生きる様は、現代を生きる私達にも勇気をくれます。
この時代の王朝の女性たちは、お寺に籠ると称して、よく小さな旅をしていたようです。
「蜻蛉日記」の道綱の母も、つまらないからとよく車(牛車?)でのおでかけもしていました。
ところで、道綱の母とか孝標の娘とかって、ナニ?!ですよね。
当時の女性は名前がなかったので、そう表したと解説されていました。
となるとワタクシ、タクロウの母でございます。(^o^)丿
それから、道綱の母と孝標の娘は、異母姉妹だったとありました。(道綱の母が姉)
孝標の娘のお父さんは孝標だから、道綱の母も孝標の娘でしょ。(名前がないってめんどくさっ!)
でも「蜻蛉日記」に出てくる道綱の母のお父さんは違う名前でした。
お母さんが再婚したのかな?
その上、孝標の娘は継母に育てられてました。
二人ともにそれぞれ姉がいました。
孝標さん、お盛んです。
でもこの父、孝標さん、菅原道真の5代目だというから、二人とも文才に長けているのもうなづけます。DNAの成せる業。
おっと、私もどうやら孝標の娘になっているぞ。
平安物語に夢中になって、その上麻の着物のことばかり考えているそうな・・・。←まじですか?!(~o~)
麻の着物狂想曲が巻き起こったとか起こらなかったとか・・・ (*_*;
おっと、もうすぐキックオフ!!
行ってきます!
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