11日の私 誇りを持ち直して
言葉を失っています。
私はその時、友人のKさんと日本橋にある「コレド日本橋」の一階カフェで、運ばれて来たケーキの写真をブログ用に撮ろうとしていたところでした。
去年の秋にできたばかりの立派なビルのコレド。一階にもかかわらずゆっくりとゆらゆら揺れ出しました。他のお客様は落ち着いていましたが、私たちはコレドでこれだけ揺れるのだから、ただごとではないとコートを着てバッグをしっかり抱えました。
その時、館内放送が流れました。
「地震です。地震です。5秒後に大きな揺れがやってきます。安全を確保してください」
「大変なことになった!」
そう思いつつ、私は転ばないように椅子から降りて床にしゃがみました。コレドは絶対安全。家族は?母は?一瞬のうちに色んな事を考えました。
既にすごく揺れているのに、もっと大きな揺れがきたらどうなるんだろう!家は(タクロウが家に居ました)会社は、母の家は・・・そのことばかり。
その時お店のウェイターが私たちの席の横の大きな扉を開けました。そこは非常口でした。扉を開けると通りに面したもう一つの扉があり、、私と友人はビル街の通りに出ると危ないので、扉の傍にしゃがんで通りを見ていました。
少しおさまったとき、夫からの電話で無事を確認し合え、母にすぐかけ、無事を確認。わたしたち3人はPHSなのですぐにつながれたのです。ドコモのタクロウには電話は通じず、早い段階だったのでメールですぐに無事を確認できました。
母もタクロウも、一部本などが崩れたと言っていました。
私と友人はもう色を失うほどなのに、周りの人はちょっとした地震ぐらいの様子。そうしているうちに2回目がやってきました。縦揺れで始まって、一回目より強く感じました。
私と友人が今度は自分たちで扉を開けてしゃがんでいると、さすがに今度はみんな私たちのところに押し寄せてきました。またすぐに母に電話。無事を確認。
電車は止まっているだろうから、とにかく落ち着こうとテーブルに戻りましたが、余震がすぐにきます。ケーキなど喉を通りません。この時既に、頭の片隅で歩いて帰ることになるかもしれないと思っていました。それで、何かと親切に気を使ってくださるお店の方が、紅茶のおかわりをお持ちしましょうか?と言ってくださいましたが、トイレに近くなると思い飲みませんでした。
日本橋三越前は歩く人が増えてきました。・・・歩くなら暗くならないうちがいいかもしれない。でも余震が続いているし、ここはとても安全だし・・・でもやっぱり歩いて、まずは母のところに行きたいので出るなら早い方がいいか・・・二人で迷いましたが、途中で電車が動くかもしれないからと、行けるところまで歩くことに心を決めました。
すぐにコンビニに入って地図を買いました。路面店の人が通りに出て、
「道をご案内しますよー!」
と声をあげています。行きたいのは飯田橋だけれど、日本橋から東京駅に行こうかと迷っていると相談すると、たぶん電車は動かないから神田須田町まで行って靖国通りを歩いて飯田橋に行くといいと教えてくれました。
人がどんどん増えてきます。バス停は長蛇の列。車も見る見るうちに増えて、動かなくなっていました。どこかでサイレンが鳴っています。実家に行くなら、神保町で友人と別れなければなりません。母に電話すると、困っていることはないし、大丈夫だから来てはいけないと言われました。とにかく家に帰りなさいと。
そんなときKさんのお嬢さんと連絡がとれ、小川町で彼女とも落ち合うことができて3人になり、心強くなりました。5時の音楽が流れていました。私たちは地図を持っていたので、道を尋ねられながら、また水道橋に行くというおばあちゃんも途中まで一緒に歩きました。
九段会館前は消防車などが停まり、物々しい様子。後で、大きな被害があったと知りました。
武道館は遊助のコンサートが中止になり、中学生とも見える女の子たちが大勢道にあふれていました。
東京の異様な光景。でも、私はカメラを向けることはできませんでした。
ぞろぞろ、ぞろぞろ歩いているせいか、飯田橋には思いのほか早くついたように感じました。ここで友人とお嬢さんと別れ、私は神楽坂の夫の会社に。8時過ぎに夫の会社について初めて、観測史上最大の地震が起きていたことを知りました。
会社からは夫と一緒に帰れます。一人よりずっと心強いものです。途中少しだけタクシーに乗れました。すぐに動かなくなったので降りて歩きましたが、私にはよい休憩になりました。暖もとれました。夕べは冷たい風が強くて吹いて寒い夜だったのです。
コンビニのお弁当の棚は、どこもガラガラで残り物を買って9時少し前に帰り着きました。
午前中、運転免許の本試験があったタクロウは家にいました。彼はお風呂などに水を貯めたり、母に電話をしてくれたり、私に交通情報などをメールしてくれていました。懐中電灯やラジオも全部出して置いてありました。
埼玉県に住む姉の旦那さんが、渋谷から我が家にたどり着き泊まりました。
そこで初めてテレビを見て、あまりにも悲惨な光景に言葉を失いました。石巻に住む知人といまだに連絡がとれません。すでに、津波で家は失ったが無事だという知人が何人かいます。かこさんは、大丈夫でしょうか?
福島原発も心配です。
夕べ、暖かい布団に入る時申し訳ない気持ちになりました。たくさん歩いたことも、そんな程度のこと苦労でもないと思いました。
外国から、災害時の日本人の強さ、理性の素晴らしさをよく讃えられます。海外では災害があるとすぐに強奪などが横行します。助けあって理性的に対処できる国民性に、既に賞讃があがっているそうです。それに恥じぬよう、世界のお手本になる時は今です。天災を免れることはできません。誇りを思い出して、持ち直して、事態に向き合っていくことが私たちにできること、そう思っています。
ご無事で良かったです。
ここ、大阪でもかなり長い時間ゆらゆら揺れていたので、本当に心配で。
ブログで、とはいえ、繋がっているお友達のブジを確認できて本当にホッとしました。
まだまだ余震が続いているようすですね。
くれぐれもお気をつけください。
saineriaさん、ありがとうございます!
コメント遅くなってごめんなさい。
自分になにができるか・・・。みんなそう自問自答しているのですね。
物資は企業や国が用意するから、まずはとにかくお金が一番!だそうですよね。さっき、私がYAHOO緊急義捐金を見たら12億を超えていました。他でも色々のところでやっているから、たくさん集まって、復興の一助になることでしょう。
saineriaさんのように継続が大事ですね。
私もそうします。