困難が私たちに教えてくれくれること

 昨日は、病気から復活した友人に会いました。

 友人は去年の9月に、私の姉と同じ膠原病を発症し闘病していたのです。

 姉の場合は、大学を卒後してから発症したので青春の大部分を闘病に費やしました。それでも結婚もし、病気と仲良く付き合い幸せな人生をおくりました。若いときの発症だったため、ステロイドの副作用による病気の対処に追われ、健康な私たちと比べると大変なことの多い人生でしたが、病気と仲良く付き合った姉は、愚痴を言うこともなく、ありのままの人生を受け入れました。それが姉自身が作り出した幸せです。

 姉が初めに1年間入院したとき、若い私もまた今まで知らなかった悲しみを知りました。クリスマスのシーズン、病院の数え切れないほどの窓の明かりの向こうにある悲しみに初めて気づきました。

 面会時間が終わるまでなかなか帰れず、一人とぼとぼ泣きながら家路についたのはきっと、私だけではなく、両親もそうだっだことでしょう。

 あのとき、医者から失う覚悟を促された姉と、私はついこの間まで人生を共にすることができました。あの時の、献身的なお医者様と看護婦さんたちの姿は忘れられません。

 友人もその家族もまた、この1年そんな大変な日々を過ごしていたのです。

 しかし友人もまた、私の姉のように、病気を通して人生のメッセージをしっかりと受け取っていました。

 彼女が生死をさまようような状態だったとき、彼女のご主人は単身赴任で受験を控えた高校3年の息子が医者からの説明を聞き、承諾書にサインをしたり、洗濯をしたり、時にはお母さんのためにサンドイッチをつくってきたりしていました。

 彼も一人ボッチの家で泣いた日もあるでしょう。切なく辛かったでしょう。そんな息子を見るにつけ、友人もどんなに辛かったことでしょう。それは、経験した者にしかわかり得ないことです。

 11月、友人の息子は、東大法学部志望を国立医学部志望に変更しました。主治医の献身的な姿が彼の人生を変えたのです。彼は今浪人しています。けれどこんな動機で医者を目指す彼は本当に患者の求める医者になるに違いありません。

 家族に大きな困難が起こったとき、ばらばらになっていく家族もあります。団結して絆を強くし、不幸と思える中に実は幸せがあったことに気づき、自分の生き方へのメッセージを読み取る人々、家族もあります。

 友人家族はまさに後者でした。

 久しぶりの再会にゆっくり、心ゆくまで話したいと二人でニューオータニのガーデンラウンジに行きました。友人は食いしん坊でホテルなどのゆったりしたレストランが好きでしたから、またここでこうして過ごせるのは涙をこらえるのが大変なほど嬉しいことでした。

 そして私が友人と向かいあって話していることの意味、私が友人から今いただいているメッセージに深い感謝を感じずにいられません。

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by housewife_life | 2008-09-30 16:11 | 日常 | Comments(6)

Commented by miyu at 2008-10-01 08:21 x
そんなメッセージをご自分の事のように真摯に受け止められる、ことりさんは素晴らしい女性だと思います。
ことりさんの暮らしが穏やかなしあわせに包まれているからこそ、人の痛みを心から思いやれるのでしょう。
私も、ことりさんのように生きてみたいです。
Commented by カンチャン at 2008-10-01 09:59 x
家族の病気と言う悲しい出来事が、自分自身、いままで気づかなかったことの発見、病院の先生方とのふれあいなどにつながりますね。病気なった家族はすばらしいものを残してくれたといえるでしょう。
お友達の息子さんはきっとすばらしい医者になりますよ。
Commented by ひろ at 2008-10-01 21:25 x
そうですね・・・
私は11歳で母を亡くしましたが
当時その気持ちをわかってくれる友達はいませんでした。
みんな、その年でお母さんが居なくなるという事が想像出来なかったんだろうなぁ。
でも、先生達は、こっちがびっくりするくらいに
心配してくれました。
この時の経験は、「年齢」という壁もあったと思いますが
「人の痛みを想像する」という事の大切さと難しさに気付
きました。
私も、自分の経験のない事でも
痛みを想像できる女性でいたいと思います。
Commented by いち at 2008-10-03 07:49 x
ホントにね。
いろいろ思います。
身近なこと、世界のこといろいろ感じて自分のものとして
私たちは精一杯生きていくことでしょうかね。
相手の立場になって考えることができることが重要なのでしょうね。
みんなが自分が相手の立場だったらどう思うか、想像力といってしまえばそれなのですが。
そして我々は「今、生きている。」
今日もがんばりましょ。無理のないところで、それなりに。ね。
Commented by ことり at 2008-10-03 21:48 x
>>miyuさん
私もmiyuさんのブログを読んでいつも考えるチャンスをいただいています。
miyuさんは行動力もあって、私も考えたり感じたりしているだけではなく、行動を伴えるようにならなくてはなぁ、って思うんです。
ブログとはいえ、自分に必要なことにきづかせてもらったり、これも不思議なでも、あり難い縁なんですね。


>>カンチャン
家族が病気になるという辛い体験は、辛ければ辛い程無駄にしたくないと思いますよね。代表で辛い役をして私たちに学ぶチャンスをくれていると思って。
友だちは、病気になった私こそ、周りの人、家族からこんなに思われ、必要とされ、生かされていたんだと教えられたと言っていました。私とは違った痛みを耐えているんだと思ったと。
友だちの息子さんはきっと立派な医者になると私も信じています。

Commented by ことり at 2008-10-03 22:06 x
>>ひろさん
早すぎるお別れでしたね。
でもこうして立派に成長したひろさん、とても耐えられそうにないと思うことでも、人は耐えていく強さがあるんですね。
けれどその陰には、体験した人にしかわかり得ないことがあるはずです。11歳のひろさん、その後成長していく間にも、どんな思いでお母様の死とむきあってきたのか、私には想像し切れません。
それでもひろさんの言うように、人の痛みを想像できる人になりたいです。


>>いちさん
そう!今、生きているんですよね。
色んなことを感じて、メッセージを受けとめて、そして今という現実は、明るく生きていきたいですね。
肩の力を抜いて…。それなりに!ね。
それもとっても大切なことだと思います。