会津若松と言えば鶴ヶ城。
雪化粧したお城は美しいものです。
ここでつららを発見して、
その後つららを追う旅になったのでした。
会津と言えば白虎隊の悲劇で有名ではあるけれど
NHKの大河ドラマ「八重の桜」のおかげで、
会津が時の徳川幕府と孝明天皇に尽くした忠義のために
どれほどの理不尽な悲劇を味わったかを知りました。
歴史の表面的な流れだけでは見えない
その中にあった八方塞りの中で尽くそうとする会津人の思いの悲しさ。
当時、日本中のどこの藩よりも進んだ「教育」を実践し、
高い志と自尊心があっただけに
会津の歴史は悲し過ぎる。ドラマを見てそう思いました。
今でも年配の方は、長州者(安倍総理とかね)への複雑な思いがあるそうです。
居酒屋でも長州のお酒は置いてなかったり。
でも、よそ者の私にもそんな思いは理解できます。
2日目は高い教育がなされた場、会津藩士の子息が通った日新館を訪ねました。
こんなに大きいの?!というのが率直な感想。
右側にも同じように長い塀が続いています。
この門をくぐって日新館に通うことは、
文武に励んで立派な武士になって世のために尽くそうという
若い夢や自尊心に満ちていたのだろうな…。
ここに有名な什の掟があります。
什の掟は掟が10あるということではなくて(7つでしょ?)
年長の少年たちが 集落(什)の子どもたちに
日新館に入ることができる10歳になるまで
毎日この掟を教えていたことから什の掟というのだそうです。
日新館入学前の6〜9歳まで徹底して教え込まれたそうですが、
教える少年たちも教えることで育ったのでしょうね。
「戸外で女の人と言葉を交えてはいけません」は時代として 😅
一、二の年長者への態度から思うのは、
それだけ年長者も年下の者に対して恥ずべきことのない
身を律した立派な年長者であったのだろうなということ。
そして最後の「ならぬことはならぬのです」
思い通りにならないことにも理不尽なことにも耐えよ
という心を育てるために、
それに見合うだけの立派なお手本と愛があったのだろうと思います。
さて、話は変わって日新館の施設の素晴らしさには驚くばかりでした。
全国から見学に来た(吉田松蔭さんも)というのもうなづけます。
雪と氷に覆われた大きな池。
ここは水練場。そう、プールです。
武術の全て、馬術などの練習場から
論語、兵学、数学、天文学(天文台もある)、
様々な学問のジャンルと教授陣の充実ぶり。
切腹の作法も教授されていたそうです。
この教え通りに飯盛山で少年たちは自刃したのかと悲しさが増しました。
少年たちの人形が、その子の人となりの記述と共に置かれていました。
並んで勉強していたり、習字をしていたり、寝転んで腕相撲をしていたり…。
まだまだあどけない少年たち…。
そんなことになるまでは、平和と誇りに満ちた日新館だったはずです。
給食も日新館が発祥の地だそうです。
若者を大切な財産として大切に育てていたことを窺い知ることができました。
「八重の桜」主演の綾瀬はるかさんは、
今でも毎年鶴ヶ城の桜祭りやプライベートでも訪れて
会津若松を応援しているそうです。
日新館の向こうに見える磐梯山
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