日常の中にある人生の大切なこと

昨日は花の苗を植えたり、草むしりをしました。

曇り空だったのでチャンス!ということで思い立ってやりました。

うちは、陽当たりがよすぎるんです。

今日は小雨模様。

昨日植えたお花たちが生き生きして見えました。

そして今日は、お掃除。

昨日も今日もそんな家の仕事を終えてから絵に取りかかっていました。

ところで、私は、夕方毎日一人で暮らす母と電話で話しています。

母はリウマチの寛解期で、痛みはほとんどないのですが、

少しずつ少しずつ月日を経て手の変形は進んでいます。

少しずつなので、その変化に身体の使い方が慣れることができていて、

周りが思うほど、母は不自由を感じてはいません。

しかし今日は、突然鉛筆が持てなくなるほどの変形があったと言うのです。

持てなかったのは初めだけで、時間をかけて工夫して持てるようにはなったと言うのですが、

不便極まりないのは事実です。

ところが母は、朗らかに笑いながらこの話をしたのでした。

聴きながら、私は健気な母の姿を思って胸がいっぱいになっていました。

それでも母にはまだまだ、その不便に慣れて欲しいと思うのです。

私は母に言いました。

「お母さん!こんな言い方変かもしれないけれど、私は嬉しい!

どんなに不便で落ち込むことかしれないのに、

お母さんが諦めないで、へこたれないから私は嬉しい。

私、お母さんを尊敬してるよ。

そういうお母さんで、嬉しいしありがとう!

でも一人で抱え込まないでね。

助けて欲しいことがあったら言ってね」

母は、

「愚痴ったってよくなるわけじゃなし、

愚痴った後は嫌な気持ちになるだけだもね。

それより私は足の痛いのが治って

(リウマチで長いこと膝が痛かったのが、心臓の手術をしたら嘘のように痛みが消えてしまったのだ)

世界が広がって、それが本当によかったと思って。

有難いことの方があるんだし、手も変形なりに、まだそれに慣れて使えるようになるからね

まだまだ、私は幸せよ」

と言いました。

母には、老いていく人の手本というものがありませんでした。

私には、母というお手本があります。


今日は掃除をしながら、

掃除はやってもやっても、数日経てばまた元に戻り終わりがない。

掃除って、人生だなぁ。

それが大袈裟だとしたら、人生に漏れなく付いてくるものだなぁ。

掃除をする人は人生の縁の下の力持ちだなぁと思いました。

だって、お金を出して人にやってもらう人もいるし、

家の中の役割でやらない役割の人もいるでしょう?

私はお掃除をする人生です(大袈裟?笑)

そして、そう遠くない将来、母の面倒を見るでしょう。

夫の面倒も見るでしょう。

そうであったら、それは順番で、幸せなことなのです。

若い頃から姉の病院通いを何十年もし、父の病院通いもしました。

お掃除をすることも、看病も私のお役目なのだと思います。

お役目通りできたら幸せなことなのです。

そのためなら、講演のお仕事など全て簡単に手放すことができる。その気持ちもはっきりと確認できました。

私という人は、輝かしい承認や賞賛よりも、たった一人でもその大切な人の人生と共に生きたいんだよね、と。

子育てもそうだったなぁ。

日常の中でそんな事を考えた今日でした。






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by housewife_life | 2017-05-10 22:39 | | Comments(0)