この世界の片隅で

母と『この世界の片隅に』を観てきました。





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自分も観たかったけれど、母に観せてあげたい思いもあって。

ちょっと天然なのん(能年玲奈)の声は、

この時代の波を利発に感じ取っていくのではなく

一つ遅れながら感じとっていくすずにぴったりでした。

絵を描くことが大好きなすず。

ちょっとおとろちゃんで頼りないすずだけど、こんなにたくましく生きている。

たった18歳でお嫁に行き、働き詰めのすず。

今どきの、自由は欲しいけれど、保護されて当然と甘やかされている18歳を思うと、

すずは本当に健気です。

すずだけではありません。

初めは辛く当たる義姉さんの胸の奥にしまった悲しみも計り知れない思いがしました。

この時代の日本人の、強くてたくましくて哀しくて…

でも、「この世界の片隅に」辛抱強く生きていた姿のおかげで、

今の私たちがあるのだと、

胸がいっぱいになりながら、頭が下がり、手を合わせる思いでした。

物語の中には、特別な存在の人物は出てきません。

戦争の是非に、人々は触れることなく、

当時の人々にとっての日常が淡々と描かれていて(すずが負傷した空襲以外は)、

空襲や原爆でさえ、すずの見える範囲の描かれ方だった気がする。

商業的に作られた、作為的に泣かせたり感動させる山がないように感じたのは、

その山が当時の日常だったからだろう。

最後の子どもとの出会いのシーンも、きっと日常にあり得たことなのだ。

あれらが山にならないほど、大変な時代だったんだ。

そんな展開の仕方が、世界の片隅をより鮮明に描き出していたように思います。

SNSの発達で、より広い世界を知り、その中で大きな承認欲求を満たしたい人たちで溢れている今、

当時では考えられないくらい生活は便利になり、大きな余裕も生まれた今、

明日へ命と生活を繋げることであった「一生懸命生きること」は、

承認を求めることになっている。

それは、マズローの欲求段階説ではないかと思い、夫が帰宅してから映画の話をしました。

生理的欲求が満たされ、社会的欲求段階に達し、承認欲求が生まれる。

でも、生きることに必死ながらも、そこには他者貢献、共同体感覚もあった。

私は生理的欲求を満たされた時代に生きながら、当時の人々の生きる姿に感動しているのはなせなのだろう。

生きることへの純粋さ故だろうか。



クラウドファンディングで上映されるに至ったというこの映画。

これからも少しずつ広がっていくのではないかと思います。



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by housewife_life | 2017-01-18 21:52 | 鑑賞 | Comments(0)