私が日本画を好きな訳
日本人というのは自然の中で生かされていることをよく心得ていて、自然に畏怖の念を抱き、自然を愛し、自然に寄り添って生活してきた
日本人の歴史の中では、自然は凌駕するものではなく、受け入れるもの
それが西洋と大きく違うところだと私は思う
それが絵にも現れていて
自然の宝石から生まれた岩絵の具の輝きや
植物のそのままの姿を観る目の暖かさや厳しさや
主人公は人間ではなく自然であることの謙虚さが
絵にも現れていて
私は日本画が、好きです
お花でも西洋的なアレンジメントよりも
あるままに活けたり、一輪をあるままに愛でる日本人の優しさと奥ゆかしさが
私は好きです
エーリッヒ・フロムが「生きるということ」の中で
テニソンの詩とと芭蕉の句で比較していた
<テニソン>
ひび割れた壁に咲く花よ
私はお前を割れ目から摘み取る
私はお前をこのように根ごと手に取る
小さいな花よーもしも私に理解ができたら
お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてをー
その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう
<芭蕉>
よく見れば なずな花咲く 垣根かな
テニソンは、持つことを望み「根ごと摘み取る」
神と人間の本性への洞察を得るために、花の機能への知的な思索にふけるが、結果として花は生命を奪われる
一方芭蕉は、花を摘むことを望まない
手も触れない
ただそれを「見る」
それと一体化しそして花を生かす
例えば、山は征服するものに対して、日本人は山は参詣するものとして神格化する
また、「清貧の思想」では
ヨーロッパの庭園は自然は徹底的に支配管理され、そのみごとな支配と管理に美を感じている
日本庭園は、あるがままの自然の再現
人の造ったものでありながら、人為の影を残さない小宇宙を作ろうとする
昔の日本の詩人、俳人たちがいかに自然の中の生命の、気配に敏感であったか。
そういう物の見方や姿勢が好きだから、私は日本画の方により強く惹かれるのでしょう
でも、この間観た笹尾光彦さんとか、油絵だけど生活の身近なものへの暖かな眼差しを感じる絵は好きです
さて、いつも京都から季節のお鍋セットを送って下さる方がいまして
夫がお休みの今日届くようにお願いしました
具が引き出しに入っていた!
味のついた出し汁たっぷりな上に
煮詰まってしまったら入れる昆布でとった出し汁、レモン、山椒などなど
細かな心配りが一層美味しくいただけるようになっていて
お店のホスピタリティーに感心
始めは出し汁をあじわい
この具を頂く
次はこれ
出し汁を差して、ついていたうどんを楽しみ
最後は雑炊
雑炊用に穴子、三つ葉、切り海苔もついていました
私はお取り寄せしたり、お店を探して食べに行ったりしない、言うたらグルメではないので
人様にこんなよい思いをさせていただけて感謝感激(…雨嵐)です
3人で大満足の夕食を、いただきました (^o^)
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