勇気づけの人 画家 長丸修一さん
勇気づけの人だと思った。
画家 長丸修一(ちょうまるしゅういち)さん
手足が動かないため、口に筆をくわえての創作活動をされている。
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鹿児島県在住の現在39歳の長丸さんは、目立ちたがりの元気な男の子から、そのまま明るい青年に育った。
21歳の大学生のとき、大学祭で盛り上がって川に飛び込み、川底の石にぶつかり、頸椎を痛めて手足の自由を失ってしまった。
なんて馬鹿なことをしてしまったんだ・・・絶望的な日々、母と二人で泣く毎日。
お母様も、あの頃は泣いて、泣いて、まるで幽霊のようだったと振り返る。
やがて修一さんは、大切な家族をこれ以上悲しませないためには、自分が悲しんでいないで元気になることだと決意。
国立鹿児島大学を卒業後、自分にできることを考えたとき、筆をくわえて創作活動をしている信州の画家のことを思い出した。
それまで絵を描くこともなかった修一さんは筆をくわえて、絵を描く練習を始めた。
そして、初めて描いた百合の花。それを母に贈った。
一日2~3時間の創作活動が限度とはいえ、毎日創作活動を続ける長丸さんを支えるのは、ほかならぬ母。
ベッドの横に立ち、長丸さんの指示に従って太さの違う筆を差し出すお母様は66歳。
私は、修一さんご本人にも感動している。
が、しかしそれと同時に、おかあさんとしての私が、修一さんのお母様に深い深い感動を覚える。
明るくて、元気な自慢の息子であったろう。
ここまで育てばと、親の勤めの荷も肩からおろす頃であったろう。
その最愛の我が子に突然起きた悲劇を受け入れるまでの苦しみ・・・とりかえしがつかない現実をどれほど呪ったことだろう。
その苦しみを乗り越えて掴んだ今を、息子に寄り添い二人三脚で生きる母。
筆をくわえさせてくれるこの人がいなければ、修一さんは絵を描くことはできない。
修一さんはきっと、母や家族の哀しみに詫びる気持ちと、母や家族の愛への感謝をこめて辛い創作活動も乗り越えてここまでたどり着いたのだろう。
修一さんは言っていた。
「がんばっていれば、いろんな道が見えてくる」
そして、その絵が多くの人を勇気づけている。
修一さんは、五体満足な私たちを勇気づけるために描き続けている。
展示会の場でたくさんの人に見てもらいたくて、個人に販売はしないそうだ。
絵を見て感動する時、その陰に絵筆を渡し続ける人がいることに思いが及ばないものだ。
私は、その陰の人の存在の無償の愛にもたくさんの勇気をいただいた。
その親子の姿に、私もスタジオの皆さんも涙を抑えきれませんでした。
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長丸修一さん
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