式子内親王
連休中だったので今回は5人だけでこじんまりと。先週の後輩の試合の復習、反省(私たちが話し合って何になるのか!?)に始まり、話の広がりは尽きません。尽きないほど、楽しいひと時でした。
先週、友達のお招きで思いがけず「ミッシング ボーイズ」というミュージカルを観ました。(予想以上の感動...) その時も、先々週のアメフト試合観戦の日も、遊び疲れた私のために夫が夕食は外食に連れて行ってくれました。
さすがに今度は甘えてばかりはいられないと夕食(主婦のお助けメニュ―、カレー!)を作って出かけました。
ところが、夫から「今日は夕飯なしになった」との電話が。タクロウから「Sの家に泊まりに行くことになった」とメールが。
え~っ!カレーは~っ!?
そして今日は「こどもの日」
ちらし寿司やタクロウの好きな唐揚げをつくろうかな、昨日のカレーもあるし喜ぶぞ~と思いきや、さっきお泊りから帰ってきて、「夜はFたちとサイゼ会(サイゼリアに集うこと)だから夕飯いらないよ」
......--;
ということで、私は先日の続き、尼門跡のことをもっと知ろうと借りてきた本を読んで過ごしています。
「式子内親王伝 ―面影人は法然―」という本です。
この本には尼門跡のことはでてきません。仏門ではなく神道の斎宮、斎院について詳しく書かれています。
「源氏物語」でもよく出てきますが、斎宮は、伊勢神宮の天皇家の祖神に使える御奉仕、斎院は賀茂神社の皇室の守護神に治世安泰を祈る御奉仕です。
天皇の卜定によって定められ(5,6歳の幼女であり、この式子も5,6歳で卜定され、16,7歳くらいまで斎院生活を送ったらしい)、俗界とは異なる神域に囲われます。斎院の場合は賀茂祭の斎王を勤め、朝夕賀茂神社の方角に向かって拝み、あとは女房たちに歌や箏を習ったり、貝合わせや双六遊びに興じていたそうです。
国家的役割を担う斎院生活は、多くの斎院司、警護、女御たちに囲まれて恵まれた典雅な生活に見えますが、「何かの思想や超越的信仰に共感して身を捧げるというのではなく、天皇に代わって、治世の安泰のために神に御奉仕する ―略― 宗教的哲理を仰いで、そこに身をゆだねて生きようとする女ではなく、神を祀る祭儀用の人身御供えなのである。 ―略― 前途に希望のない御奉仕の生活、いつ終わるのか予測のつかぬ神域での明け暮れなのです。」
天皇一代に一人の斎院がきまりなのですが、何らかの理由により五代58年に及び、斎院を勤めた皇女もいました。この時代(式子が生きたのは式子の父、後白河と平清盛全盛期から崩壊までの嵐のような平安末期から鎌倉初頭です)女として皇女に生まれるほどの不幸はないと言われたといいます。斎院となった以上、勤めを終わった後も「斎内親王」として奉られ、死ぬまで独身の道を歩いたそうです。
しかし、斎院といえども人間です。成長とともに恋に憧れたり、禁断の恋をしたりしながらも許されない、ただ御供として生きることはどんなに空しい人生だったことでしょう。
尼門跡とは離れてしまいましたが、とても興味深く読んでいます。お寺への入寺には、信仰という一つの柱があるので、心の荒廃を伴う斎院たちの様子とはずいぶん違うのだろうということは想像できます。
自由の身の私たちは、幸せですね。
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大きくなると子供の世界が大きくなり、
うちの姉のところもそんな感じです。
だんだん子供メニューが減ったとか。
うちも、そうなるのも近いみたいです(^_^;)
寝かさざるおえなかったカレーかなり美味しくなったはず。
パソコン、変えてからの更新です。
まだ色々慣れなくて、手間取ったりしていますが...^^;
本当にそうですね。
人と外が好きなタクロウの凧の糸が切れるであろうことは、予想しておりました。
自由がやってきたんだぁ~!
カレーは美味しくなった‐‐;