「尼門跡寺院展」内省の世界

 今日から新しいパソコンです。私が寝っ転がっている間に使えるようにしてくれた、夫とタクロウに感謝申し上げます。



 母と芸大美術館に「尼門跡寺院の世界」を観に行ってきました。

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 尼門跡とは、皇族、公家など、高貴な女性の入寺によって営まれてきた独特な品格を持つ寺院で、世界に誇れる文化遺産です。

 古都、京都・奈良には今でも一三ヶ寺の尼門跡が残っており、最も古い中宮寺は、七世紀、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために建立したものです。

 驚いたのは、多くの皇女が5歳から15歳で入寺していたことです。夫や子供を失ったり、現世の苦しみから逃れるように出家するイメージを持っていた私には意外なことでした。

 経や法要を勉強するための「喝食」を経て得度し、剃髪して尼僧となり修行の日々が始まったそうです。

 尼寺だからこそ、戦乱などに巻き込まれることなく信仰生活や文化を維持できたということです。

 明治維新後の神仏分離で皇族が仏門に入ることが禁じられ、宮廷からの援助がなくなり、代々受け継いでいくことは大変になってしまいました。

 これまでは非公開だった作品など、すべての寺院から一堂に出品される展覧会は今回が初めてだそうです。


 お勤め、法要、の合間に華道、茶道、和歌、などを稽古し、香道などの遊びを楽しんでおり、典雅な生活も垣間見られました。

  入寺するときに母が娘に持たせた貝合わせの道具などはため息が出る美しさです。菊の御紋が入った蒔絵の道具や、その時々の天皇から送られた織物も時を越えて美しい。

  書や和歌からは教養の高さ、信仰の深さが伝わってきます。

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 当時の彼女たちはどんな思いで毎日を過ごしていたのでしょう。お寺に入るということは、当時の彼女たちにしてみると教養を身につけるためで悲壮感はあまりなかったのでしょうか...。
けれど、入寺した以上、結婚することも俗世にもどることもできないでしょうに、皇女たちは、みな入寺してしまうのでしょうか...。
 静かに時が流れる中で、悟りを得ることを最高の願いとしてひたすら信仰を重ねたのでしょうか...。

 彼女たちの気持ちが知りたい。そう思いながら手がかりを求めて「尼門跡寺院展」を観ました。


 手がかりになりそうな本を図書館に行って探したのですが、こんな解説を見つけました。

 「式子内親王」石丸晶子著より 

 「式子内親王(後白河皇女)が、生きた時代は平安末期鎌倉初頭の大動乱期であった。」

 「平安時代、内親王の結婚は「継嗣令」によって厳しく規制され、別勅がないかぎり、摂関家をはじめ臣下とは結婚できなかった。―略―歴史学者の辻彦三郎氏の調査によると、桓武天皇から後冷泉天皇にいたる平安前期、21人の天皇が挙げた皇女の数は172人。このうち結婚の比率は18パーセントであるという。―略―しかしこの18パーセントという数字も、平安後期院政時代になると著しく低下した。この間、幼少にして配偶者をもたないうちに崩じた六条天皇、安徳天皇をのぞいて天皇の皇女は33人。しかし、結婚した皇女は高松院妹子内親王(鳥羽皇女)ただ1人。
 院政時代、親王はいても皇位継承を予定されている者以外はみな、争いをさけるために出家して、法親王となり、寺院に送られるのがならいであった。」


 こんな時代背景があったのです。この本を読めば少しは、当時の皇女たちの気持ちを察することができるでしょうか。


 静かで内省的な世界にとてもひかれます。夫の言う、「陰」の世界が私には心地よい気がします。しばらく、この世界で遊びたいと思います。






 「らでぃっしゅぼーや」に「こごみ」が入ってきました。くるみ和えにしていただいたら美味しかったです。
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最後まで読んでくれてありがとうございました!最後にクリックしてもらえると嬉しいな
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by housewife_life | 2009-05-03 17:35 | 日常 | Comments(0)