心の中に永遠に 悦子先生…
これは最近私の身に起こるPMSです。今年になってから、こんな症状が時々出ます。
でも、月のくるものがきてしまうと、ころっと治ってしまいます。それで、3日ばかり少々つらかったけれど、19日には回復。目が辛くてパソコンをみられなかったので、やっと皆さんからいただいたコメントにお返事を書き終わり、みなさんの記事を覗きに行ったり、自分の記事を書こうと思っていました。
そんな時、悲しい報せが入りました。
タクロウの5,6年生の時の担任だった悦子先生が亡くなったとの報せでした。
あまりに突然過ぎる事故でした。
悦子先生のことは、このブログでも2回ほどステキな先生、尊敬する先生として書いたことがあります。私たち母親と同じ年代、彼女はまだ40代です。3人のお嬢さんのうち、一番下のお嬢さんはタクロウたちより一つだけ上の大学生です。
悦子先生のような素晴らしい先生との出会いは、私の子ども時代にはありませんでした。私が恵まれていなかったというのではありません。それほど、まれに見る素晴らしい先生だったのです。
今年の夏休み、タクロウをプール指導員のバイトに呼んでくれました。タクロウが比較文化を勉強したいと思うようになったのも、小学校時代、そんなジャンルがあるとも知らずに興味をもっていたタクロウを、悦子先生が認め、伸ばしてくれたからです。
来年の春の夢の一つは、悦子先生に合格の報告をしにいくことでした。
高校生になっても、悦子先生に進路の相談をしている子もいました。彼らもみんな、報告に行ける日を楽しみに頑張っていました。
さばさばしていて、いつもいつも笑顔で、笑顔は伊達公子さんみたいで、タクロウたちがやんちゃをすると、こらーっ!と言いながら、大きな声でげらげら笑ってしまうのでした。だから、タクロウたちは先生のことが大好きで、困らせるようなことはしませんでした。
出合った日に、深いお話をされ、一日で子ども達の心をつかんでしまいました。家に帰った子ども達からそれを聞いた、母親達の心もつかんでしまいました。俺達の先生はすごいんだ。そんな尊敬の心が、だから自分達もできるんだ、俺達のクラスは素晴らしいんだという思いを育て、それに見合った行動をとれる子ども達を育てました。
ですからもちろん、母親たちからも絶大な信頼を寄せられていました。
先生として、一人の女性として、本当に素敵な人、私も大好きでした。
卒業後、同年代の女性としての話をしたり手紙をやりとりしたこともありました。
私は、ちょうど6年生のときクラス委員をしていたので、この報せを聞き、できるかぎりのことをさせていただこうと、昨日からさっきまで、もう一人の委員をやっていた親友と奔走していました。すぐに色々まとまったのも、悦子先生ならではのことと、連絡をとりながらしみじみ感じました。皆さんの悲しみ、落胆の大きさも、痛いほど感じました。でもそれは当然すぎることなのです。
6年生のとき20年後に開けようと埋めたタイムカプセルを開けるとき、そこに悦子先生がいないなんて。こんなに早く、いなくなってしまうなんて…。
タクロウは、お通夜も告別式も行くと言っています。
そのことを書くのは、悲しすぎます。また、いつか悦子先生の思い出話を書くその時までこの悲しみは胸にしまいます。
私たちの心の中に永遠に生き続ける悦子先生に深い感謝と愛を込めて…。
また明日から、こうしていつもの顔ぶれといつもの平凡な生活を送れるという奇跡に感謝しながら日常を綴りたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました!最後にクリックしてもらえると嬉しいな
いろんなことが起きようとも、いつもと同じように生きていられることに感謝。
ご縁が深い人とはまた生まれ変わったときにまた出会えるのかも・・・と思っています。生まれ変わったときは気づかないみたいですけどねー。
だから、私たちもどこかの誰かの生まれ変わりかもしれませんね。
きぬよさん、ありがとうございました。
コメント、とても嬉しかったです。
私も気づいていなくても、前世ご縁があったのではないかしらとか時々思います。ここにコメントをくださる方とかも、星の数ほどのブログがある中でつながれるなんて、きっとそんなご縁があったのよ、なんて思ってしまいます。
感謝して、前を向いていきます。